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2007/07/17

アイデンティティの功罪的なアレ

近所のコンビニshop99に行くといつも、『冒険団』てゆう、長渕剛をポップにした感じのバンドの音楽がかかってるんすよ。ボブディラン的楽曲にのせて、「不器用で誰も理解してくれなくても懸命に頑張る僕は尊いんだ!」的な歌詞を熱くうたって、なかなか良いJ-popだと思うの。だけども、それを聴くたびにある思いが胸をよぎるのであった。

それは、ネガティブ・ナーバス・非合理的な生き方に、自己のアイデンティティを見出すのは、すごい損な事であるかもなあー、とゆー事である。

"どんな自分にアイデンティティを見出すか"によって、その人の人生は大きく変わってくるのだろうなあと思うのであるる。基本的には、自己そして人生は、自らが望んだ方向へと変化してくもんだと思るる。たぶん。

"公私ともにバランスの良い自分"にアイデンティティを見出すなら、その人は"公私ともにバランスの良い人生"を送る可能性がまあ高いだろー。"合理的努力で成功を収める自分"にアイデンティティを見出すなら、"合理的努力で成功を収める人生"になる可能性がまあ高いだろー。

なんと!じんせいのほーこーせーはじぶんできめられるのである!びっくりするじじつだ!26さいにしていまごろきづいた!

だからこそその際にちゅーいせにゃならんぽいのは、"苦労人である自分"や"不器用な努力家で誰にも認めて貰えない自分"や"幼少期の心の傷を生涯背負い生きてく自分"なんかのネガティブでナーバスで非合理的な方向に、自己のアイデンティティを見出すのは、すごーーく損であるとゆーことである。そーすっと、本当にそういう人生を送る羽目になる可能性が高げ。

もちろん、よのなか、色んな人がいて良いし、どんな人にも価値がある。多様性は生命進化そして民主主義にとって、ちょーだいじである。てか、そーじゃないと、僕がこまります。

しかし、"ネガティブでナーバスで非合理的な自分"にアイデンティティを求めようとする場合には一定の不利益がしょーじうるとゆー点は、認識しとく必要がありそーだ。てか不利益以前に、そんな自己認識辛いよね。できれば、"ポジティブで論理的な自分"にアイデンティティを求めた方が、一般的に言って良い人生になりげ。

そんなことを、メガてりやきと唐揚を交互にガツガツ齧りながら思うのであった。メタボリック一直線の「自己管理能力が低くいい加減な自分」にアイデンティティの拠り所を求めながら、今日も取り返しのつかぬ消極的選択を繰り返すのであった。


☆☆☆おまけ☆☆☆

あと、この文には『冒険団』や長渕剛のさくひんを否定する意図は全くないのでファンの人はゆるしてね。
多くのげーじゅつの基本は"既存の価値の転換"だと思うの。その中でも特にカウンターカルチャーとしてのビート・ジェネレーション出現以降の若者文化の基本は明確に「反社会」なわけだから、"作品としては良いけど実社会に援用する論理としてはちと難がある"てことは、当然起こりうることで、何も問題ないことだとおもうの。
トトロの住む世界は素敵だけど実際あそこに引越せ言われても困る、みたいな。ロックスターの言う事かっこいいけど実践したら即タイーホ、みたいな。

だから、"実社会に援用する論理としては難がある"ことは、そのげーじゅつさくひんの価値を貶める事ではまーーーったくないのだと思うのれす。むしろ逆なくらい。

なのでおこらないでね。おこられたらぼくは、とけてなくなってしまいます。

※追記1※
そもそも、「冒険団」や長渕剛の作風に大いに影響を与えてると思われるボブディラン自身が、カウンターカルチャーとしてのビート・ジェネレーションの代表的存在だったけか。
※追記2※
そういえば、文化圏を示す語としての「ロック」は、カウンターカルチャー文化(長嶋か)そのものを指してるのかもですね。

コメント

非公開コメント

言葉ってのは すごいもので
本当に魂が宿ってると思いますね
一言一言を大切にしないと ほんと
運命って変わってくる様に思います

たしかに、自分の使う言葉が自分の思考パターンを変え→それが自分の行動パターンを変え→それが自分の生涯を変える…という面は絶対ありますよね。

日々自分を、ネガチブな言葉で貶すのと、ポジティブな言葉で励ますのとでは、思考性格行動生涯が、大きく変わってきそうですね。まえむきちゃんにいかねばですね。
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