2007/07/22

恐怖と無知。勇気と知。~shimura,usiro~

恐怖心って、「知らないものに対する想像力」よね。知覚や論理性や経験則では全貌を知ることがままならぬ時、人が、その不明な部分に対し巡らす想像力こそが、恐怖心だ。

幽霊が怖いのも、夜の闇が怖いのも、死が怖いのも、ベッドの下が怖いのも、出自不明のビデオテープや電話が怖いのも、新しく配属される職場が怖いのも……論理的・経験的・知覚的にその全貌を知ることができておらず、想像の余地があるからだ。

恐怖は、知る事により克服することができる。論理的・経験的・知覚的に、対象の全貌を知る事ができ安全を確認できた時、想像の余地が消え、恐怖心は失せる。

無知とは境界を曖昧にする闇である。知とは境界を暴く光である。無知は恐怖心を呼び、知は勇気を呼ぶ。人は、恐怖を克服する為に知ることを欲するのである!近代文明の発展とはまさに、人類の、恐怖からの脱却の過程そのものであった!

ていう事を、ドリフの幽霊コントを見ながら思いました。シムラ、ウシロ。

以上、いまだに豆電球が点いてないと怖くて眠れない26歳男性がお送りしました。
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2007/07/17

アイデンティティの功罪的なアレ

近所のコンビニshop99に行くといつも、『冒険団』てゆう、長渕剛をポップにした感じのバンドの音楽がかかってるんすよ。ボブディラン的楽曲にのせて、「不器用で誰も理解してくれなくても懸命に頑張る僕は尊いんだ!」的な歌詞を熱くうたって、なかなか良いJ-popだと思うの。だけども、それを聴くたびにある思いが胸をよぎるのであった。

それは、ネガティブ・ナーバス・非合理的な生き方に、自己のアイデンティティを見出すのは、すごい損な事であるかもなあー、とゆー事である。

"どんな自分にアイデンティティを見出すか"によって、その人の人生は大きく変わってくるのだろうなあと思うのであるる。基本的には、自己そして人生は、自らが望んだ方向へと変化してくもんだと思るる。たぶん。

"公私ともにバランスの良い自分"にアイデンティティを見出すなら、その人は"公私ともにバランスの良い人生"を送る可能性がまあ高いだろー。"合理的努力で成功を収める自分"にアイデンティティを見出すなら、"合理的努力で成功を収める人生"になる可能性がまあ高いだろー。

なんと!じんせいのほーこーせーはじぶんできめられるのである!びっくりするじじつだ!26さいにしていまごろきづいた!

だからこそその際にちゅーいせにゃならんぽいのは、"苦労人である自分"や"不器用な努力家で誰にも認めて貰えない自分"や"幼少期の心の傷を生涯背負い生きてく自分"なんかのネガティブでナーバスで非合理的な方向に、自己のアイデンティティを見出すのは、すごーーく損であるとゆーことである。そーすっと、本当にそういう人生を送る羽目になる可能性が高げ。

もちろん、よのなか、色んな人がいて良いし、どんな人にも価値がある。多様性は生命進化そして民主主義にとって、ちょーだいじである。てか、そーじゃないと、僕がこまります。

しかし、"ネガティブでナーバスで非合理的な自分"にアイデンティティを求めようとする場合には一定の不利益がしょーじうるとゆー点は、認識しとく必要がありそーだ。てか不利益以前に、そんな自己認識辛いよね。できれば、"ポジティブで論理的な自分"にアイデンティティを求めた方が、一般的に言って良い人生になりげ。

そんなことを、メガてりやきと唐揚を交互にガツガツ齧りながら思うのであった。メタボリック一直線の「自己管理能力が低くいい加減な自分」にアイデンティティの拠り所を求めながら、今日も取り返しのつかぬ消極的選択を繰り返すのであった。


☆☆☆おまけ☆☆☆

あと、この文には『冒険団』や長渕剛のさくひんを否定する意図は全くないのでファンの人はゆるしてね。
多くのげーじゅつの基本は"既存の価値の転換"だと思うの。その中でも特にカウンターカルチャーとしてのビート・ジェネレーション出現以降の若者文化の基本は明確に「反社会」なわけだから、"作品としては良いけど実社会に援用する論理としてはちと難がある"てことは、当然起こりうることで、何も問題ないことだとおもうの。
トトロの住む世界は素敵だけど実際あそこに引越せ言われても困る、みたいな。ロックスターの言う事かっこいいけど実践したら即タイーホ、みたいな。

だから、"実社会に援用する論理としては難がある"ことは、そのげーじゅつさくひんの価値を貶める事ではまーーーったくないのだと思うのれす。むしろ逆なくらい。

なのでおこらないでね。おこられたらぼくは、とけてなくなってしまいます。

※追記1※
そもそも、「冒険団」や長渕剛の作風に大いに影響を与えてると思われるボブディラン自身が、カウンターカルチャーとしてのビート・ジェネレーションの代表的存在だったけか。
※追記2※
そういえば、文化圏を示す語としての「ロック」は、カウンターカルチャー文化(長嶋か)そのものを指してるのかもですね。
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